人肉こそ人間に一番あっている
いつ頃からかは知りませんが、現代において食人は禁忌です。
しかし、過去においては食人は明確な文化だった時期もあるのです。
多くは単に食料的な意味合いや、宗教儀式的な意味合いで行われました。
そんな食人文化。食人という行為には、得体の知れない興奮を抱くのです。
そんな食人行為はなぜ起こるのでしょうか?色んな面で考えてみます。
①、安全に食事を取れないから。
生物界において多産は珍しくありません。魚やカエル、虫は多産です。
沢山産めば産むほど生き残る保険になるという理由からです。
生まれたばかりというのは脆弱です。食われるためにあるといっても過言じゃない。
そんな餌達にとっての餌は、同じく生まれたばかりの同族が理にかなっています。
最弱な自分たちが格上の外敵に挑むよりも、同じ条件の弱者を狙うのは当然でしょう。
同族を食べるのが早ければ早いほど成長し、より同族を食べやすい大きな体を得るのです。
これらは遭難などの事故で起こった食糧難でも度々見られる現象です。
生き残るために仕方なく、というのは精神を安定させるには重要です。
どうせ捨てられるんだから、有効に使ってしまうというのもいいですね。
②、人間は高カロリーで栄養が豊富だから。
人間は沢山の栄養を必要とします。そこでふとした考えがよぎるのです。
必要な栄養を持っている人間を食べれば、必要な栄養を補えるのでは?
骨、筋肉、内蔵、細胞・・・あらゆる面で自分と同じ構成をしている人間は、全て人間にとって必要な栄養を備えているのでは?という考えです。
事実、豊富な食料を取る人間は脂肪や筋肉においてとてもバランスが良く、牛豚鶏に比べそこらへんに居ます。
誰しもが自分が食べられるとは想像できつつも思わないので仕留めるのは簡単でしょう。
③、すごい物食べてプラシーボ効果
これは儀式、宗教的な意味での食人です。人間はブランド品、肩書にとても弱い。
すごい人物を食べれば自分もすごくなれるのでは?
若く健康な肉や血をとれば自分も若く健康になれるんじゃ?
食人行為の1つに敬意をもって、というものがありますが、これらもその類似でしょう。
実際に他人を取り込むという行為は現代でも行われています。臓器移植に始まり若者の血液を輸血するビジネス、吸血鬼のモデルとなった夫人が若さのために血をあびる等。
臓器移植したあと人が変わったなんてケースなど、超越した何かがあるのでしょう。
色々な理由がある食人行為ですが、この先一般化されるのでは?とも思います。
クローン技術の発達、食糧難、人肉に有効な栄養素の発見などなど。
クローン技術は倫理観的な所で踏みとどまっているだけですし、皮膚移植などで自分の代替細胞を作るなどは既に行われています。
人肉に有効な栄養素などは特別なワクチンや珍しい血液型で考えればおかしくありません。
現にプラセンタという美容目的で使われる正体は、出産後に廃棄される人間の胎盤です。
なんだかんだで人は人を食べてます。ただわかりにくいかそうではないかの加工だけ。
人肉ビジネスって興奮します。倫理的にはまずいけど、倫理を除けば興味あるでしょ?
食人ビジネスは未だ手付かずの宝の山です。人間は食に多大な興味を誇っています。
どんな調理法がいいか?どの部位が美味しいのか?年齢は?性別は?
どんな環境で飼育する?どんな種同士で掛け合わせる?投薬は?抗体は?
どんな食事をたべればどんな肉になる?食肉にどんな教育をさせる?
もう考える事はいっぱいです。倫理を除けばコレほど興味深い事はありません。
もし自分が食肉として育てられたらどんな自分になるんでしょう?
美味しく食べてもらうのを夢見るのでしょうか?どの部位にいくらの値段がついたと誇るのでしょうか?同じ人間だと抵抗する?そんな考えが浮かぶ環境なのか?
興味は尽きません。今日の食卓は一風変わった空気で食べれそうです。