INFP型の審美眼まとめ

美しい!役に立つ!を厳選まとめ

世間ではお日様のダニ商法で大儲けできる

人間って単純だ。大多数の法則があるように、多ければ赤信号を渡っても許される。それはなにも法だけではなく、ビジネスの世界でも一般的な事である。最近では、新しく浸透したダイエット宗教、働く宗教、勉強宗教、布団のダニ宗教をよく目にした。そんな宗教だが、実は非常にビジネスの香りを孕んでいる。というのも、新しい宗教というのは所詮数だけを売りにしたらハリボテだ。叩く所はいくらでもあるし、また信じていただけに裏切られたと知った信者たちは炎上商法に似た爆発的利益を生み出すのだ。この商法はとっても簡単だ。世間では評論家が人気だが、実は叩いて大儲けのチャンスはそこかしこにある。

皆さんはこんな言葉を目にしたことがないだろうか?「糖質制限ダイエット」「ちょっと今から仕事やめてくる」「1万時間の法則」「布団のお日様の臭いはダニの死骸の臭い」どれもダイエットや仕事、勉強で興味を持つ人が多いジャンルのブーム達である。そんな新宗教を興したこれらだが、同時にしばらくすれば競い合うように対抗馬が出現する。「糖質制限は嘘、糖尿病の元」「ちょっと今から仕事やめたいができないわけ」「1万時間ではなく20時間」「布団のお日様の臭いはダニの死骸の臭いは嘘」これまたどれも人気であり、大多数の法則に釣られた丸呑み信者達の感心をひいてやまない。

この商法の楽な所は虎の威を借れる点である。すでに人気がでた教えに対し、難癖、あるいは批判をするだけでいいのだ。~は嘘。~は逆効果。~は大病の元。具体的な代案を出せる人物は少ないが、ただ人気の議案を批判する事は誰でも得意だろう。やり方は単純に逆の効果を言うだけである。ダイエットなら太る。勉強なら簡単。本当がどうかなんてどうでもいい。現代医学や勉強法なんて極めて個人の資質が多く、さらによくわかっていないというのがほとんどだ。如何に~は危ないですよ!と危機感を煽ることが重要な詐欺である。

こうした不安と期待を煽る商法は、如何に詐欺師を喜ばせているか理解せねばならない。どれだけ世間は嘘ばっかりで、自分が情報を鵜呑みにしているという怖さも自覚すべきことである。逆を言えば、なんでも口に入れる大きな子供が多い現代では、嘘八百で億万長者も夢ではないのだ。いい時代になったものである。

やる気を出す際の車と四季と1万時間と20時間

日本の1年は四季にわかれている。春、夏、秋、冬。それぞれ全く違う景色を見せるほどの劇的な変化だ。そんな四季だが、実は人間の学習に程よく絡んでいることは知っているだろうか?春は過ごしやすいから、夏は暑くてやる気がでる・・・ということももちろんあるが、ここでいう学習と四季の関係とは、慣れの事である。人間は凄まじい環境適応力を持っているが、それでも急激な変化に対応できない。時差ボケや徹夜などの体調変化でもわかるように、ある程度の慣れる期間が必要である。

察しのいい人はもう気付いているだろうが、日本の四季はそういった慣れるまでの期間を図るのにはベストだ。夏や冬の差は劇的だ。冬では一向に溶けないアイスでも、夏場では数分で溶け出してしまう程。そんな環境に置かれる人間は、四季という区切りで徐々に次の環境に体を慣らしているのである。というよりも、体が四季の環境に合わせているというべきか。丁度四季は3ヶ月ほどで区切れ、6ヶ月程で環境は逆転する。物事を始めるならこの3ヶ月を目安にするべきだ。人間は生きている限り、毎年この四季の慣れの訓練を受けている。

ダイエットも三ヶ月。新人教育も三ヶ月。意外と素人と初心者の境目はどこにでもころがっている。何事もまずは3ヶ月やればいい。それが習慣になる。といってもこの3ヶ月は、自分を目的地に配送するまでの準備期間。あくまでスタートラインに立つという事にすぎない。宅配物を郵便局に届けるようなものだと思えばいい。3ヶ月かけて自分たる宅配物を郵便局に届けさえすれば、あとは自動的に目的地まで送り届けてくれるだろう。習慣とはそういうものである。その三ヶ月が頑張れないという人は、少々考え方を変えてみるべきだ。

例えば1万時間の法則というものがある。要するに1万時間物事に費やせば、その道でプロになれるというものだ。といってもこれはあくまでもそれらしくというだけで、1万時間費やしてもその道のトップになれるというわけではない。あくまでも、お金を受け取れる程度のスキルだ。ついでこの症例に対して、1万時間もできねーよ!とか、1万時間もかけないとダメなのか・・・と絶望した人もいるだろう。だが安心して欲しい、やる程度の事なら1万時間も必要ではない。20時間で十分だったりする。

ジョシュ・カウフマン 20時間の法則
 


というか1万時間も必要な事は殆ど無い。大抵人間は他人を過大評価しすぎている。すごそうなことでも実はなんてことないなんてことが殆どだ。例えば運転免許。運転免許を取るにはだいたい1ヶ月ほどかかる。座学も有るし、実技もある。結構な時間をかけることになるだろう。しかし、運転自体は簡単だ。車を運転するには、キーを回し、ドライブに入れ、ロックをおろし、アクセルを踏む。これだけ。それで車を運転できる。それなのに大抵の人は、何十時間も勉強し、実技し、試験に受からないと車には乗れないと思っているのだ。

それは大間違い。確かに金を稼ぐには1万時間必要かもしれないが、楽しむだけなら20時間で済むのだ。車の運転のように、乗るだけならすぐにでもできるのに、大半を乗る以外の勉強や実技に割いているのだ。これは非常に無駄である。確かに車に乗るには勉強が必要だろう。けど、楽しむために車に乗りたいと思うのに対し、勉強して許可され車に乗るのはどこかずれていると思う。みんな物事に対して最初から完璧を求めすぎているのだ。やりたいと思った事は即実行、とは少し違う。これでは無理やりやらなきゃ感がある。やりたいと思ったら即できる、か?

何事もやるだけ楽しむだけなら大したことはない。つまらなければやめればいい。たった1時間の練習で、プロ並の演奏を披露した詐欺師を私は知っている。案外上達は、やる気や時間には関係ないのかもしれない。

ペンタブ絵とか、Zblushとかの3Dモデリング問題

昨今、ペンタブとSAIなどのイラストソフトによって絵のレベルは急上昇した。誰でも手軽に絵をかけて、しかも一定以上の成果をノート直書きよりもたやすく出せる時代だ。ちょっと昔のプロの絵を見ることも有るが、正直今と比べると劣る絵も多い。それだけ手軽になったとも言えるが、レベルの平均値の上昇はいいことばかりではなく、極端な供給過多により絵師の使い捨て現象も問題になっている。現在の自由度の多様性、入門の手軽さは、単なる絵の上手さ以外にも求める物が増えてきた。皆絵が上手に描けて当然だから、99%の努力よりも、1%の閃きの世界になっているのだ。

正直、私はPCで描く絵や3Dモデリングが好きではない。他人の絵や3Dが嫌いというわけではなく、自分で創作する際の居心地の悪さが嫌いなのだ。私は絵を描くし、モデリングもする。ペンタブやマウスで入力しながら作っている。しかし、その作業は確かに直接自分で創作しているのだが、直接ではないのだ。手にペンをとって描いている。けど、描いてるのは紙ではなくタブレットで、タブレットはモニタを介して電子を写しているにすぎない。私は本は電子書籍ではなく手にとって読む派だ。私にとって、PCでの創作作業は手に取っているのに取っていない妙な浮遊感を感じているのだ。

これがどうにも慣れない。3Dのモデリングをしても、実際にモニタに映る絵は平面である。平面の絵をマウスで動かして全体を見る。たしかに3Dなのに、平面の一枚絵を通して3Dモデルを見るという違和感が募る。加えて入力の違和感もまた強い。普通、彫刻なら削る作業をするだけだ。しかしモデリングでは削る作業は無い。ここはこの数値で、ここはこの重量で、とか殆どがデータ入力だ。絵を描くにしても、実際にペンを走らせる作業は少ない。レイヤーの重ね方、ショートカットの操作などのソフトの操作ばかり。それでいてソフトの使い方が絵の上手さに直結するからたまらない。なんか、こう、違うだろう!と思わずにはいられないのだ。

技術の進歩で業界のレベルは上がった。上手い絵やモデルも増えた。そんな今ではパソコン上の創作が当然で、手書きなどはコストや技量の問題でどんどん駆逐されている。そのうちヴィンテージだとか、農薬無農薬みたいにあえて手作りのブランドもでてくるかもしれない。直接手にとって、が好きな私としては、ぜひともwebを介さない市場は残って欲しいものである。

イラストで顔は全く重要じゃない

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現代において顔は重要だ。顔は相手の識別でも使われ、美醜により感情の好悪にも関わる重要な要素だ。しかし、その顔は実はイラストにおいてはさほど重要ではなかったりする。ある程度対称性があり、よほど崩れていたりしなければ問題ない。なぜかというと、イラスト界において、キャラクターを判別するのが顔以外の要素になっているから。pixivなどで投稿されるキャラクターイラストは、多種多様な顔をしている。リアルでは目や鼻のサイズがある程度決まっているが、二次元においては全く違う。目が倍ほどもあれば鼻がなかったりもするし、目の描写など極めて個性的である。

といってもそういった顔は「その作者が描いた」という判別程度で、キャラクター描写においては重要ではない。二次元キャラクターにおいての重要要素、それは髪型、髪の色、服装である。人間の顔の識別能力は極めて高く、数mmの差を感じ取る事ができるが、事二次元においてはその感覚を顔以外の要素で補っているのだ。極端な話、顔を描写しないのっぺらぼうだろうとも、髪型、髪色、服装を揃えればキャラクターの判別は容易だ。人によっては髪型、髪色だけで判断できるかもしれない。ベースが同じでも、盾を持てばマシュになるし、セーラー服を着れば浜風、眼帯すれば2Bになる世界だ。

こういった現象が起こる理由もまぁわからないでもない。リアルにおいてはアニメや漫画の様に常に同じ服装というわけにもいかないし、体型も髪型も似たり寄ったりが殆どだ。体をジロジロ見るのは失礼という風潮であるし、自然リアルでは顔で判別するしかない。しかし、二次元においてはその顔の差異を描くのが難しい。ハンコ絵なんて言葉があるように、顔をキャラ毎にかき分ける技量がないのである。どういった理由でハンコ絵が普及したのはわからない。けど、アニメや漫画において奇抜な服装やありえない髪色が多いのは、こういった作者の都合が多いのかもしれない。逆を言えば、顔の老若男女のかき分けができる絵師は貴重である。

まぁ、顔の個性を出すということは、それだけ顔が変形することでもある。白人信仰の日本ではあるが、実はイラストの顔は殆どがすっきりしている。個性的ではなく、没個性のすっきり平均顔。平均的な顔というと悪いイメージを持たれがちだが、こうした実例を見ると、日本の美醜は平均没個性がベースの足並み揃えてが大事なのだとわかる。顔の要素を気にするのに、実は対して気にしない。顔のかき分けが苦手という人は、いっその事顔を隠すとか、動物マスクにして個性と見分けを補うなどすればいいかもしれない。ワンピースやハンターのようにシンプル顔というのも重要である。

鰻が江戸時代の塩みたいになってるwww

奥さん知ってました?実は鰻って絶滅しそうなんですって!絶滅しそうなのに丑の日には売り出されてるんですよ、絶滅ってなんでしょうね。というか、鰻って高いよ。免許証みたいな切り分けサイズで中国産。それでいて1000円とかもうね。とてもじゃないけど主役って感じじゃないよ。どうみても脇役、副菜だよ。定食についてくる漬物とかそんな感じ。鰻の肉よりタレの方が主役なんじゃないかなぁ。ほんと、こんな木っ端みたいな鰻見ると悲しくなるよ。鰻だってご飯より多いステーキみたいな量食べたいよ。

昔の江戸時代の人が食べてた米の量って知ってる?一日五合ですってよ!五合の米に梅干し一個とか塩ひとつまみですってよ!米以外食べるものがないんですってwwwそりゃ米食べるよねwww なんか鰻を見てると江戸時代を思い出すよ。鰻の量が少なくて、足りないから仕方なく米の量を増やして食べる。山盛りご飯に鰻がちょび髭みたいに乗ってるのよ、妙に悲しくなったよ。ほんと、丑の日だとか絶滅だとか上手い事載せられてます。もういい加減鰻には愛想が尽きたよ。私、今日からナマズ穴子の子になります。

絶滅宣言って、絶滅を気にして食べない人と、絶滅するから今のうち食べとこうって人、どっちが多いんだろう?皆さんはなくなりそうな物を見た時どうします?
そういえば、鰻って生だと血に毒があるんですって。地方では血抜きして刺し身にした鰻が珍味らしい。どうでもいいけどこの鰻美味いな~。