INFP型の審美眼まとめ

美しい!役に立つ!を厳選まとめ

pixivで人気になる絵を描く際の注意点

心理学に、群衆の中の顔効果というものがある。これは大勢の笑顔の中に、一人だけ怒った顔があれば、どれだけ大勢居ようとも一目で分かるというものだ。似たような意味では、木を隠すなら森の中、画竜点睛などがある。似ている同士ならバレにくいし、一点でも手抜きすれば全てダメという意味である。これらの言葉からわかることは、物事は常に0か100かで考えるということ。絵で言えば、半端に上手い絵よりも、限りなく手抜きした絵や限界まで磨き抜いた絵の方が人気が出るということである。後者はともかく、そこそこ上手い絵よりも手抜きの絵の方が人気というのはどういうことだろう?

これは先程言った群衆の顔や木を隠す事でよくわかる。そこそこ上手い絵というのは中途半端なのだ。上手い絵にも下手な絵にもなりきれず、かえって下手くそさが目立つのである。線画の上手い漫画家が、色を塗った途端にイマイチな絵になった覚えは?そこそこ絵を描いたり見る習慣があるならば、半端な絵よりも下書きやラフっぽい絵の方が好みだったりしないだろうか?私は半端なエロ絵よりも、線や塗の粗が目立つ下書きの方がかえって興奮する。それは普通というか半端な出来ではなく、徹底して全体を下手に仕上げているために起こる心理だ。

といっても、なかなか絵を描く人には難しい問題である。下手な完成品よりは下書きの方がいいが、下書きばかり描いていては上達しない。かといって完璧な絵を仕上げるにはこれまた絵を書き続けなければならないし、時間もかかる。熟練するまでフォロワーは諦めなければならないのか?と思った方、少しだけ安心してほしい。こうした中途半端はちょっとしたテコ入れでごまかす事が可能である。pixivで独占状態の版権女性キャラを例にしてみよう。

女性キャラ、というか現実の女性でもそうなのだが、男性がみている部分は極めて限定的であり集中している。それは女性で言う所の顔と体だ。もうすこし詳しく言えば、顔のバランスとその絵でアピールする胸や尻の部位である。男性は、美少女フェイスとおっぱいがあれば、たとえ女性の背後にゴリラがいても視界に入らなくらいである。それだけ男性は女の顔と胸しか見ていないのだ。そして、この女の顔と胸こそが群衆の顔であり森である。どんな精密な背景尽きの一枚絵を描こうが、男が見ているのはその中の女性の顔と胸だけだ。背景なんて最後の最後にコンマ1秒ちら見する程度である。

つまり、顔と胸以外は無いに等しく、顔と胸だけを全力で仕上げれば、他は手抜きだろうとも全力で仕上げたように見えるのだ。一番見る人が注目する場所、ここでは顔と胸を画竜点睛の点、竜頭蛇尾の竜に据えれば全てよしとなるのである。絵で人気になるには長い時間がかかるが、力を入れる部位、構図ではなく技量のバランスを考えるなどすれば、期間もずっと短くなるのだ。

言葉の意味と表情は一致しないと全く伝わらない

心理学では二重拘束という言葉がある。これは耳で聞く対象の言語の内容と、目で見る対象の表情が一致しない時に起こるものである。例えば、口では嬉しい、ありがとうと喜を表しているにもかかわらず、表情は怒っていたりとどっちを信じればいいのかわからない状態だ。これは非常に対象を不安にさせる。どれだけ愛の言葉を囁やこうとも、ちっとも嬉しそうな顔をしていなければ全くの無意味なのだ。これは奥ゆかしさを尊重する日本人には致命的である。内心でどれだけ感謝していようとも、言葉にするだけでは足りないのだ。

知らずこの二重拘束の影響を受けやすいのが男性である。男性は感情をあまり表に出さない。まずこれで言動と一致しない事がある。次に日本男児の恥ずかしがり屋な所である。夫が日頃の感謝を妻に伝える際、新聞を読みながらぼそっと一度だけ言うようなCMがたまにある。CM内では妻が微笑んでめでたしだが、現実ではそうはいかない。この二重拘束により、照れ屋な夫がかろうじて絞り出した感謝の言葉でさえ、照れ隠しの無表情が塗りつぶしてしまうのだ。熟年離婚はこういったすれ違いの積み重ねでおこるのだ。

せっかく感謝などの言葉を送るならば、必ず表情と一致させたセットにしなければ勿体無い。今まで言葉だけで十分だと思っていた人は、二重拘束を理解することで簡単に問題を対処できる。表情と言語内容を一致させる、無表情な相手も二重拘束に陥っているというちょっとした事前情報で、人付き合いは劇的に改善できるのだ。

ガチであった引き寄せの法則

世間を騒がれて大分立ち、今なお胡散臭い筆頭ともいえる引き寄せの法則引き寄せの法則には様々な本が出ており、様々な引き寄せ方法が網羅されている。私も思考は現実になるとか、ザ・シークレットに始まりネットの類似オカルトを沢山試した事がある。本は古本屋で100円程度だったし、元々占い好きなせいもあり、タダ同然でできる行為には興味がありありである。といっても真剣に結果を求めての行為ではなく、話題作りの一種のようなもので、課題をこなしている間も全く信用していなかった。

結果を言えば、大した結果はでていない。コレに尽きる。願いの書き出しや集中などは人並みにやりはしたが、その程度の片手間で効果が出るとは正直期待していなかった。欲しいものも数日はともかく数年はかかりそうなものも多い。これでは本当に結果がでる頃には忘れているのではなかろうか。忘れると手に入るなんて事もたまに目にするし、結果として物品的に得られたのは無いに等しい。しかし、そんな法則の中で確かに手応えがあったのも存在した。

それは、「望んだものが現実になる」である。正確には、今考えている事が現実になるだろうか。例えば私は今日、心理学の本を読み漁った。そしてたまたまテレビを付ければなんと心理学の特集をしているではないか!私は事前に番組を調べたわけでもないし、あまりテレビも見ない。ほんとにたまたまやっていた事が、突然降ってわいたのである。この思った事が湧き出てくるのは他にもある。漠然と課題をこなす中、存在するならミサイル撃ってみろよと考えていたら、翌日北朝鮮がミサイルをぶっ放した。存在するなら台風よこせと言えば台風が来て、地震を思えば地震が来た。これは、それに集中していたから見えるようになった、とは少し違うと思う。

望んだものが手に入りはしなかったが、直前に考えていたことやしていた事に関連するものが割り込んでくるのはよくある。明確に探したわけではなく、本当に突然飛び込んでくるのである。ということは、自分が望む行為、捜し物をしていれば、類似の出来事が飛び込んでくるということでもある。考える割合や探す割合を増やしていけば、いずれ目に映るのは望むものだけという事もありえるのではないか?まぁ、24時間望むものに集中できる努力をすれば、自分から欲しい物を手に取れそうでもあるが。

いやほんと、引き寄せ全体はこれっぽっちも信じていないが、稀によくあるというように、偶然にしてはできすぎな現象もあるという事は理解できた。私はそんな気力もやる気もないが、引き寄せには奇妙な魅力があるので、遊んでみるのも面白いだろう。

ニートになるのに必要な真の素質

未だ真実を見たくないが故に、多くの者達は正社員に括り、ニートやフリーターという存在を忌避している。忌避しているが、ホントは羨ましいと思っても居る。ほんとに賢い者たちは働いたら負けという意味を理解していたし、頑張って社会で得られるものというのを正確に見据えていた。ニートやフリーターが減らずに増えていくのはそういうことだ。一見内定ないとか止む終えない事情が故に見えるがそうじゃない。本能でわかっているのだ、働いたら負けってね。

そんなニートやフリーターだが、実は本当に勝ち組になるには素質がいる。人と話したくないとか、規則正しい生活をしたくないとか、世間一般ではダメな奴扱いされる素質だ。といってもそういう素質は素質とはいえない。誰だって朝起きたくないし、働きたくないと思う。朝起きた瞬間からやる気MAXなんて方が異常で珍しい。ニートやフリーターに数あるそれっぽい素質ではなく本当の素質。それは「働かない事に後ろめたさを感じない」である。

こればっかりは才能だ。残酷なことに、怠惰するにも才能がいる。ニートやフリーターの大多数は実は言われてるほど楽じゃない。というのも肉体的には楽かもしれないが、精神的には常に追い詰められている。働きたいのに働けない、なのに不景気や職歴なんて悩みはどんどん浮かんでくる。焦っているのに動けない、そのジレンマはループする。親や友達、世間からの白い目。あんたこの先どうするの?俺だって辛いんだよ!と本当に辛い者が多いのがニートやフリーターだ。彼らは皆素質がない。未だ諦める事ができないでいるのだ。

過去の栄光に縋る人達、それがニートやフリーターだ。はたから見れば、自分は落ちぶれているのにいつまでもブルジョワ感覚でいる没落貴族のようなのだ。本人にその気はなく、ひたすらに焦っているのである。焦るくらいならやればいいのに、というのは禁句だ。できないのである。彼らがすべきことは2つだ。するというよりは、せざるを得ないというべきか。焦りという五右衛門風呂に耐えられず飛び出すか、諦めて順応するかの2つだ。焦る前者はニートやフリーターではない。ある意味才能の無いものたちである。彼らは今も焦りを感じ、心の中で働いているのだ。ニートとは言えない。


ニートになるには才能がいる。他人の目を感じない雄々しさ。焦りを感じない図太さ。期待を諦める決断力。だるいとか、怠惰とかはそんなもの才能たりえない。ニートは選ばれたものしかなれないのだ。君は、世間からの冷たい目や将来への不安を振り切ることができるだろうか?私は真のニート、フリーターを尊敬する。彼らはとりあえず正社員と流される者達よりも、不屈の闘志を持っているのだから。

東大卒ニートとか肩書のパワーを実感する

人は見た目が9割なんて本が流行った事がある。事実そうだと思う。というよりもこれは見た目だけではなく、あらゆる表面が9割というのが正しいと思う。要はブランドだ。中身すっかすかでも見た目や肩書がすごいものなら良いものなのだ。馬子にも衣装、服装は人を変えるのである。とんでもない話だ。見た目を変えるのは昨今簡単である。肩書もまぁ言うほど難しくない。高級時計とか、高級なスーツを着ればすっかり一流の仲間入り。その高級な時計やスーツもブランド頼りの製品で、ブランド除けばそこらの品と対して変わらないのがまた滑稽である。

たまにテレビで見る東大、京大卒ニートなんてのもそうだ。今やってる事はニートだし、どうあってもそうすごいとは言えない。けれど、彼らは東大、京大というだけでとんでもなくすごそうに見えてしまう。実際には東大、京大生の中には留年したり遊んでばかりの存在も大いに居るし、想像するほどすごいということはまず無い。肩書という想像が人物を塗り固め、本当は大したことないという事はとても多いのだ。見た目で決めない、侮らない。これをやれば世界がかわる。自分は肩書で見ている、と意識するだけでも全く違う。

肩書のパワーはすごい。ニートだって東大と付けば偉大に見える。なんか理由があるかとか、賢い生き方してるって肯定される。世間って、人間ってそういうものなのだ。そこを上手くだまくらかしてメッキをはるのが大事なのだ。中身が変わるなんて必要ない。ペラペラのメッキか純金かなんて目で見る人間にはわからない。だから見た目に気をつけなさい。発言にも気をつけなさい。見目を整えるだけで、簡単に人は転ぶのです。良い衣装を着て騙されるのは他人だけじゃない、自分もそれに騙されているのだ。