他人はなぜか犯罪者同士仲良くできると思ってる
この世には親近感、同族嫌悪という言葉があります。
似ているから好き、似ているから嫌いというものです。
この心理、なぜか屑とか犯罪者には一方的に作用するんです。
屑なら屑、犯罪者なら犯罪者同士仲良くできると無意識に思うのです。
例えば刑務所、犯罪者同士仲良くしているイメージが無意識にわきませんか?
お互いに犯罪自慢とか、なんかこう悪い奴らはつるんでというイメージとか。
大抵の人は親近感、同族嫌悪という言葉は知っているのに、この悪い達者同士だと一方的に仲良くできるだろ、と思っているのです。
そもそも犯罪者、屑だって自分が大事です。犯罪者だって自分を棚に上げるんです。
自分が殺人を犯したとしても、同じ殺人者と同居させられたら落ち着くわけがないのです。
どれだけ屑であろうと屑みたいな奴と居るときは、こいつ屑野郎だなって思うんです。
同じ屑同士だからって屑や犯罪行為に好感は覚えません。至って普通の感性です。
じゃあ、なぜ第三者は悪人同士だと仲良くできると思ってしまうのでしょうか?
それは屑行為や犯罪行為が悪だから。自分に悪意が届くのを遠ざけるためです。
ゴミは一箇所にまとめるでしょう?臭いものには蓋と無意識に防衛本能が働くのです。
犯罪者や屑の中にも仕方なくなどの一身上の都合ゆえの者ももちろん居るでしょう。
しかし、自身に悪意が働くというその一点において人間は非常に冷酷になれるのです。
自然に、人格や背景などを考えずに、犯罪者だから一緒でいいよね、と思うのです。
デートは男が奢るとか、そういうよく考えるとおかしい事が常識となっているのです。
環境は人を変えます。腐ったリンゴは周囲のリンゴを腐らせますが、腐った同士をあわせてもより腐るだけです。それはゴミ処分といいます。
本当に更生を考えるなら、それこそ腐ったリンゴを綺麗なリンゴ箱に入れて蘇生させるくらいの事が必要なんです。
リンゴは腐るともうダメですが、人間は環境で更生できるのではないでしょうか。
屑同士に囲まれるより、一流に囲まれたら犯罪者や屑も変われると思いませんか?