INFP型の審美眼まとめ

美しい!役に立つ!を厳選まとめ

日本は週3勤務給料10万みたいな仕事をつくるべき

正直週5で働いてる奴は頭おかしいと思う。週6は頭おかしい。週4でも多いし、週3ならまぁ・・・ね。この意見に賛成する人は殆どだと思う。日本人は働きすぎだ。何も全く働かないと言っているわけじゃない。そこそこ働きたいだけだ。給料半分になるけど休みは増えるなら、名乗りを上げる社員も多いのではなかろうか。希望が多く望まれているのに一体なぜ採用されないのか理解できない。働きたい奴だけ働けばいいのだ、働く日数や時間の量で階級を決めるのは良くない。勤勉は良くないことだ。


正直、なんでそこまで働くの?と言われれば言葉に窮する。絶対やらなきゃ死ぬとまではいかないし、しょうがなく、仕方なく・・・と諦めがついて回るのが現状だ。そもそも中途半端に働ける仕事がまずない。フルタイムでは週6を強制されるが、そこまで働きたくない。かといってアルバイトでは週2~3を実現できるが、勤務時間が短く生活費が稼げない。週3~4,8時間働ける社員なりバイトなりなら求人はひっきりなしではなかろうか?正社員だからがっつり働きたいわけじゃない。バイトだからちょっとしか働けないわけでもない。バイトの日数で、正社員のように働きたいのである。

ほんと、労働基準法なんてのは邪魔である。8時間労働なんてのがその最たるものだ。8時間というのは中途半端なのだ。通勤や入浴洗濯を考えると毎日10時間の拘束。一日24時間で7時間寝ると残り7時間。これでいざ何かをしようとしても無理だ。中途半端に一日に仕事が刺さるせいでその後もろくに行動ができなくなる。働く意欲はあるんです。だから、働きたい時に思う存分働けるようにして欲しい。一日16時間働くので、週に3日勤務にしてくださいなどである。一見長時間の勤務はきついように見えるがそうでもない。

まとめてやると効率があがるのは当然だし、翌日をまるまる一日休みに使えたりもする。勤務時間は同じでも、出勤もろもろの時間は半分にまでなる。私はちまちま働くのは好きではない。やるならガツンとやり、ガツンと休むスタイルが好きだ。メリハリとはこういうことじゃないのか?毎日毎日週6も中途半端に働いて、上手いこと時間もつくれなくて。囚人のほうがよっぽど快適な生活をしているだろう。中途半端な辛さは一時的な辛さよりもきつく、抜け出しにくい。100mも全力疾走すれば休まずにはいられないが、マラソンのようなじわじわくる辛さでは辞め時がわからないのだ。

雇用側は正社員とバイトの中間にも需要があると知るべきである。正社員なら3~4日、バイトなら8時間働けるだけでも随分違うのだ。もっと働きたいという意欲はあるんです!ただ働ける場所がないのです!残業だって、週3勤務なら一日16時間だっていけます!ロリコンじゃありません!ただ、好きになった人がロリだっただけです!あれば働けます!

ニートを機械化した人間社会を考える

スペインやイギリスではニートが100万人を越えた。日本でも少子化などで労働力不足となっているが、もはや就職難は世界規模で起こっている。というのも機械化で単純作業が減り、後は経験ありきの専門職が残るのだから就職できるわけがない。そこでふと閃いたのだが、人間を機械化した場合の労働基準や人権はどうなるかという事だ。現在でもペースメーカーなどの機械を体に埋め込むことは珍しくない。この先、SFのような全身機械や一部の機械化も行われると思う。機械労働力が加速する今、人間と機械を混ぜた人はどのような立ち位置になるのだろう?

①、機械化した人間は高級取りになる。
これは現代社会と完全機械化社会の中間辺りで起こると思う。まず体を機械にするという選択肢。事故や病気で仕方なく、というわけでもなければなかなか機械化する気はおきない。中にはそんな事も気にしない剛の者もいるだろうが、世間では親からもらった体を・・・なんて感情が風靡しているだろう。当然、機械化というリスクを取ったものはそれなりの金を手に入れるだろう。といっても機械化した体で働くというよりは、モルモットや治験のようにデータ取りの意味合いが強いと思われる。機械化を想定する場所も人員も、戦場とか災害現場、囚人などで試すはずだ。

②、現場監督や夜勤制度のような立ち位置
これはかなり機械化が普及した社会での立ち位置になると思う。というのもどれだけ機械化が進んでも人の目が必要という声はある。機械がどれだけ発達しても、その機械に指示を出すのは人間というスタンス。そのため、どれだけ現場が機械化し、人間の必要がなくても置物となる人間は必要なはずだ。宿直や夜勤の必ず一人は配置してくださいという法律のようなものだ。とりあえず誰か一人人間は、というのは必ず起こる。極端な例を言えば、無人運転が可能になっても人は乗せるようにとか、これ人間必要ないだろって楽な仕事が増える。機械化がすすめば進むほど、人間は車に対する鍵のような位置になるだろう。ニートを全て働かせ、労働人口100%は可能だが、居ても居なくてもいいという楽な世界だ。

③、美醜の価値が大きく変わる
手軽に体を変える、取り替える事ができれば当然価値も変わる。ここには便利さもついて回る。機械化してまずはじめに起こるのは議論だろう。親からもらった体を・・・なんて理由で現代の整形に対するような批判が起きる。視力に対するレーシックなど、それ大丈夫なの?という漠然とした不安もだ。それらもやがて機械化という利便に埋もれていくだろう。埋もれるにつれ、機械化が一種のステータスになる。どこそこの企業のパーツがすごいとか、このパーツあのブランドなんだぜ、などだ。

見た目も簡単に変わる以上、本当に中身で勝負な世界にもなるだろう。おばさんでも女子高生の、おっさんでも少女の見た目にだってできるはずだ。年齢に対する少子化や結婚、同性愛への問題も変わるだろう。それと同時に生身というブランドも現れる。現代で言うヴィンテージとかレトロファッションだ。機械化が一般で便利な時代、あえて生身でというのはとんでもない希少価値が出るだろう。機械郡を生身で倒すとかの漫画やアニメが流行るのも、この希少性のためである。

結局、機械化が進んでも人は必要にされると思う。機械に乗っ取られる、ではなく、機械が増えるだけ人間も部品となる世界だ。機械にどんどん仕事を奪われても、それは機械が活躍するということ。つまり人件費などの余裕ができ、働かなくても人間ってだけでお金が貰えるようになるかもしれない。介護、運送、建築・・・どれも辛い仕事だが、機械によってこれらの仕事も解消され、人間自体に余裕がでるのは素晴らしいことである。



人を動かす、嫌われる勇気などから見る正社員とフリーター

ぶっちゃけ、色んな自己啓発やビジネスのベストセラーを読んできた。まぁ、大抵同じ事しか書いていない。大半は楽して好きなことしろ、熱中できるものを探せ、時間は金よりも大事、金に括るな。これらを読む度に思うのだ。ベストセラーの大御所達の意見では、正社員より圧倒的にフリーターを勧めていると。そんな内容が売れているご時世では、要するに、皆内心では正社員よりフリーターを望んでいるという事を。金と将来に取り憑かれた現代でこそ、今と自分を大事にしなければならないと私は思うのだ。

ほんと、読めば読むほどベストセラーの内容はフリーター万歳である。正社員という言葉にどれだけの人間性を捧げているかと思うと身の毛もよだつ思いだ。正社員で得られるのは、何時来るかわからない未来へのちょっとした安心のみ。年金も、転職への職歴も、ほんとにあるかないかわからないもしもの藁にすがっているのだ。億万長者はよく言っている。情熱がモテること、好きなことをやりなさいと。これを満たせる正社員がどれだけいるのだろう?ユダヤ人富豪は言っている、時間は金であると。好きでもない仕事にせいを出し、1年の殆どを拘束され、貴重な時間を消費する正社員で得るのは金だ。悩める人にカーネギーは言った。今日を全力で、今日だけの事を考えよと。今日の事を考えず、将来という正社員ばかり考えては悩んで当然だ。今日だけ生きるならフリーターでいい。

フリーターになると、将来に不安を覚える。この先生きていけるのかという不安だ。けど、それは正社員でも変わらない。正社員でも年金や解雇の危険もある。たとえ正社員でも、今日も働くのか、やこれが定年まで続くのか、という悩みに絶え間なく苛まれるのである。フリーターで将来について悩むのも、正社員で将来と仕事に悩むのも同じである。むしろ、正社員の方が自由の無さや責任の分辛いともいえる。働けども働けども我が暮らし楽にならざりぢっとハゲを見る。それって奴隷と何が違うんだろう。生きるための最低限で十分ではなかろうか?

まぁ、これは逃避も逃避である。結局働きたくねぇ、仕事やめたいと思う意気込みから自分に刷り込みをかけているのだ。大多数がおかしいと思いつつ、結局大多数が働いてるので抜け出す勇気がないのである。正論は正論だけに嫌われるけど、フリーター万歳!って正当性を名著から借りなければストレス発散もできないのだ。しかし、名著の内容が尽くフリーターなのも事実である。楽をしてフリーターになれば、もっと楽な未来が待っているなんてステキではないか。はっきり言うが、フリーターか正社員はどちらかしか選べない。フリーターの人の体験談で不幸なんて見るが、その人は同時に正社員をやっていたわけではない。結局隣の芝は青く、比べてもいない状態で不幸とはいえないのだ。フリーターで不幸だと思う人が、正社員だともっと不幸なんてよくあることである。

人は金が大好きだ。金こそ全てといってもいい。それは金が万能な交換券だからだ。しかし、金よりも万能な交換券を私は知っている。それは時間だ。正社員は、ちょっとした金と僅かな時間を貰う。そこに自由は無いし、時間が無いからそこから何かを交換することもできない。反面フリーターは僅かな金とかなりの時間を貰う。言ってしまえば、なんでも買える大量のお金を持っているのと同じである。正社員は職があるが貯金が無い。フリーターは職が無いが貯金が3億ある。金は時間で買える。けど金で時間は買えない。優位性なんて明らかだ。どっちが安心できるかなんて言うまでもないだろう。さぁ、好きなことをやるんだ。

世間ではお日様のダニ商法で大儲けできる

人間って単純だ。大多数の法則があるように、多ければ赤信号を渡っても許される。それはなにも法だけではなく、ビジネスの世界でも一般的な事である。最近では、新しく浸透したダイエット宗教、働く宗教、勉強宗教、布団のダニ宗教をよく目にした。そんな宗教だが、実は非常にビジネスの香りを孕んでいる。というのも、新しい宗教というのは所詮数だけを売りにしたらハリボテだ。叩く所はいくらでもあるし、また信じていただけに裏切られたと知った信者たちは炎上商法に似た爆発的利益を生み出すのだ。この商法はとっても簡単だ。世間では評論家が人気だが、実は叩いて大儲けのチャンスはそこかしこにある。

皆さんはこんな言葉を目にしたことがないだろうか?「糖質制限ダイエット」「ちょっと今から仕事やめてくる」「1万時間の法則」「布団のお日様の臭いはダニの死骸の臭い」どれもダイエットや仕事、勉強で興味を持つ人が多いジャンルのブーム達である。そんな新宗教を興したこれらだが、同時にしばらくすれば競い合うように対抗馬が出現する。「糖質制限は嘘、糖尿病の元」「ちょっと今から仕事やめたいができないわけ」「1万時間ではなく20時間」「布団のお日様の臭いはダニの死骸の臭いは嘘」これまたどれも人気であり、大多数の法則に釣られた丸呑み信者達の感心をひいてやまない。

この商法の楽な所は虎の威を借れる点である。すでに人気がでた教えに対し、難癖、あるいは批判をするだけでいいのだ。~は嘘。~は逆効果。~は大病の元。具体的な代案を出せる人物は少ないが、ただ人気の議案を批判する事は誰でも得意だろう。やり方は単純に逆の効果を言うだけである。ダイエットなら太る。勉強なら簡単。本当がどうかなんてどうでもいい。現代医学や勉強法なんて極めて個人の資質が多く、さらによくわかっていないというのがほとんどだ。如何に~は危ないですよ!と危機感を煽ることが重要な詐欺である。

こうした不安と期待を煽る商法は、如何に詐欺師を喜ばせているか理解せねばならない。どれだけ世間は嘘ばっかりで、自分が情報を鵜呑みにしているという怖さも自覚すべきことである。逆を言えば、なんでも口に入れる大きな子供が多い現代では、嘘八百で億万長者も夢ではないのだ。いい時代になったものである。

やる気を出す際の車と四季と1万時間と20時間

日本の1年は四季にわかれている。春、夏、秋、冬。それぞれ全く違う景色を見せるほどの劇的な変化だ。そんな四季だが、実は人間の学習に程よく絡んでいることは知っているだろうか?春は過ごしやすいから、夏は暑くてやる気がでる・・・ということももちろんあるが、ここでいう学習と四季の関係とは、慣れの事である。人間は凄まじい環境適応力を持っているが、それでも急激な変化に対応できない。時差ボケや徹夜などの体調変化でもわかるように、ある程度の慣れる期間が必要である。

察しのいい人はもう気付いているだろうが、日本の四季はそういった慣れるまでの期間を図るのにはベストだ。夏や冬の差は劇的だ。冬では一向に溶けないアイスでも、夏場では数分で溶け出してしまう程。そんな環境に置かれる人間は、四季という区切りで徐々に次の環境に体を慣らしているのである。というよりも、体が四季の環境に合わせているというべきか。丁度四季は3ヶ月ほどで区切れ、6ヶ月程で環境は逆転する。物事を始めるならこの3ヶ月を目安にするべきだ。人間は生きている限り、毎年この四季の慣れの訓練を受けている。

ダイエットも三ヶ月。新人教育も三ヶ月。意外と素人と初心者の境目はどこにでもころがっている。何事もまずは3ヶ月やればいい。それが習慣になる。といってもこの3ヶ月は、自分を目的地に配送するまでの準備期間。あくまでスタートラインに立つという事にすぎない。宅配物を郵便局に届けるようなものだと思えばいい。3ヶ月かけて自分たる宅配物を郵便局に届けさえすれば、あとは自動的に目的地まで送り届けてくれるだろう。習慣とはそういうものである。その三ヶ月が頑張れないという人は、少々考え方を変えてみるべきだ。

例えば1万時間の法則というものがある。要するに1万時間物事に費やせば、その道でプロになれるというものだ。といってもこれはあくまでもそれらしくというだけで、1万時間費やしてもその道のトップになれるというわけではない。あくまでも、お金を受け取れる程度のスキルだ。ついでこの症例に対して、1万時間もできねーよ!とか、1万時間もかけないとダメなのか・・・と絶望した人もいるだろう。だが安心して欲しい、やる程度の事なら1万時間も必要ではない。20時間で十分だったりする。

ジョシュ・カウフマン 20時間の法則
 


というか1万時間も必要な事は殆ど無い。大抵人間は他人を過大評価しすぎている。すごそうなことでも実はなんてことないなんてことが殆どだ。例えば運転免許。運転免許を取るにはだいたい1ヶ月ほどかかる。座学も有るし、実技もある。結構な時間をかけることになるだろう。しかし、運転自体は簡単だ。車を運転するには、キーを回し、ドライブに入れ、ロックをおろし、アクセルを踏む。これだけ。それで車を運転できる。それなのに大抵の人は、何十時間も勉強し、実技し、試験に受からないと車には乗れないと思っているのだ。

それは大間違い。確かに金を稼ぐには1万時間必要かもしれないが、楽しむだけなら20時間で済むのだ。車の運転のように、乗るだけならすぐにでもできるのに、大半を乗る以外の勉強や実技に割いているのだ。これは非常に無駄である。確かに車に乗るには勉強が必要だろう。けど、楽しむために車に乗りたいと思うのに対し、勉強して許可され車に乗るのはどこかずれていると思う。みんな物事に対して最初から完璧を求めすぎているのだ。やりたいと思った事は即実行、とは少し違う。これでは無理やりやらなきゃ感がある。やりたいと思ったら即できる、か?

何事もやるだけ楽しむだけなら大したことはない。つまらなければやめればいい。たった1時間の練習で、プロ並の演奏を披露した詐欺師を私は知っている。案外上達は、やる気や時間には関係ないのかもしれない。