INFP型の審美眼まとめ

美しい!役に立つ!を厳選まとめ

片手間に脂肪燃焼効果を30%上げるトレーニングダイエット

せっかく運動してるのに痩せない。せっかく食事制限してるのに痩せない。そういう人は多い。もちろん運動量や食事量が基準に足りて無ければ減らないのは当然だが、ある程度意識してダイエットしている人なら、より効果を実感できるお手軽なトレーニング法がある。

そのトレーニング法とは呼吸である。はっきりいって、現代人は呼吸が浅い。普段から運動をしていないせいもあり呼吸する機能も衰退著しい。ここでなぜ呼吸が重要かというと、燃焼した脂肪は呼吸により排出されるからである。英国医学界では、脂肪の90%が呼吸により排出され、10キロの脂肪燃焼には30キロの酸素が必要だと発表した。つまり、呼吸が浅く、酸素量の少ない人は正統なダイエット効果を得られていないのである。

言ってしまえば呼吸の便秘だ。運動すると脂肪が溶け出し、体内を循環する。しかし、それはいわば固まった脂肪を暖めて溶かしただけ。さらにその暖めた脂肪を体外に排出する行為が必要なのである。どれだけ熱心に運動し、食事制限をした所で体内の脂肪を溶かすだけで排出しなければ、運動後にまた脂肪が固まり蓄積されるだけなのだ。

呼吸はとても重要だ。人間は数十秒息を止めただけで苦しくなり、数分で死亡にまで至る。つまりそれだけ呼吸は重要であり、体内には排出すべき毒が降り積もるということ。呼吸は無意識であり当たり前に行われる動作故に軽んじられているが、毎秒こまめにしなければならないほど重要なのだ。そんな重要な呼吸だが、脂肪燃焼効果を上げるお得なトレーニング方法がある。

その呼吸法とは、意図的に吸って吐くことだけ。運動中、そこまで息があがっていなくても全力疾走した犬のようにゼェハァ吸って吐くのである。この呼吸は片手間にでき、なおかつ他の作業を邪魔しない。さすがに人前でやると少々変な目でみられるかもしれないが、呼吸というエネルギーを意図的に吸う効果は抜群である。スゥハァスゥハァを出来る限り早く強く行なうと、これが意外と難しい事に気づくだろう。

それだけ呼吸器周りの機能が退化していることであり、体内に毒素や脂肪がたまっているということでもある。できるかぎり意図して強く早く吸うのだ。ここで間違ってはいけないのは、全力疾走時のような吸わなきゃ死ぬ!という必死な呼吸であり、ドローインや深呼吸などのゆっくり吸って長く吐くということではない。激しい運動をするとなぜ痩せて、なぜ呼吸が荒くなるのかをよく考えてみよう。必要なのは、意図的に強く早く呼吸をし、それほど運動していなくても、激しい運動時のように体に錯覚させるためでも有る。

もちろん、大量に吸い込んだ空気は体を楽にさせる。運動して息切れする時でも呼吸が浅い人は多い。ただ時間にまかせるままに息をしている人だ。あえて意図的に苦しいのに呼吸をする人は珍しい。呼吸は難しい。けど重要だ。最初は口から吸って口から吐き、次第に鼻から吸って口、鼻から吸って鼻という風にシフトしていこう。呼吸は辛いが効果がある。意図的に吸って吐いてを1分程度やりつづけただけで、かなりの疲労を感じるはずだ。酸素はプロティン所か万能薬なのである。

呼吸関係の神秘は多い。とある教授が天才育成法として潜水を上げたり、インドのマントラ、皆さんご存知ジョジョの波紋なども呼吸である。呼吸は常にあり、日常的なものだ。それだけ重要な呼吸を意図的に操る事ができれば、凄まじい天才や劇的な効果を得られるのもありえそうではなかろうか?たった数分の深呼吸でも現代医学で効果ありと認められている呼吸。呼吸は、すさまじい財宝の山にみえないだろうか?そんな宝がタダ同然に好きなだけとれるのである。さぁ、呼吸しようぜ!

コーラの水割りに学ぶおすすめビジネス

よくカロリー何%オフや糖質制限なんて謳い文句をよく見る。中には新発売とか言いつつ中身を削減したりと改悪するお菓子業界も多い。こうしたちまちましたケチくさい作業を見ると思うのだ、もっと堂々と削ればいいのに、と。味をそのままに数%コスト削減に膨大な時間と苛立ちをつぎ込むくらいなら、いっそ薄味だけど量は同じなんて商品を作ればいいのである。

例えばコカ・コーラ。私はコーラを良く飲む。炭酸飲料もよく飲む。といってもコーラ自体の炭酸は私には少々きつい。きつけどコーラはもっとガブガブ飲みたい。そんなことから私はいつもコーラを薄めて飲んでいる。おおよそ水とコーラで半々くらいにして飲むのだが、この量が炭酸も甘みもほどよくガブガブ飲めるのである。おまけに半分に希薄するために量は2倍でお得だ。これが値段のためだけにやっているならケチくさいのだが、味も兼ねての事なのである。量は2倍になり、値段とカロリーは半分になるというまさに夢のような仕様である。しかしいちいち薄めるのも面倒なので、コーラ業界さんは半分の値段なりで半延べ水割りコーラを売り出して欲しい。きっとヒットする。

こういうコーラの水割りのように、半分にうすめても売れるというのはたくさんある。単純に一袋の量を半分に小分けして売るというのではない。味自体を落とすとか、薄めるとか、水や塩胡椒や素材の味などを活かすのだ。炭酸飲料を単純に水で薄めるとかもそうだが、食品やお菓子でもそういう事はできる。今の時代、よほど不味い食材というものは存在しない。薄味は薄味で存在するし、薄味が好みの人もいる。カロリーや糖尿病、値段などの理由で食べたいから選ぶ人もいるはずだ。B級品や訳あり品、不格好な品でも実用で問題なければ売れている。企業はもう少し大胆にカットしたビジネスに目を剥けるべきだ。

せせこましく詐欺じみたパッケージでごまかすよりも、最初から半分に薄めたから半分の値段です、というような商品をつくるべきなのだ。はっきりいって、飲料やお菓子に消費者はそこまで味を求めていない。大抵似たり寄ったりの出来であり、こいつは美味い!という用な品はそうはない。現代の基準は食べられる=美味しいである。とりあえず口寂しいから、なんか目についたから食べるのだ。不味い物を現代でつくるのは至難であり、質より量や値段の潜在市場を考えれば、なぜそういった商品が出回らないのか不思議である。実際に牛乳の水割のようなくっそ不味い商品だとしても、値段やカロリーが半分なら売れるのだ。

牛乳の水割りは不味い。けど、値段やカロリーが安いと謳えば売れる。買う人物も飲む本人だけではない。夫の愚痴掲示板のように、自分はよくても旦那には安いものを与える主婦は多い。そういう安く済ませたいという層も少なからずいる。中には不味いからいいとか、その薄味が好みというものもいるはずだ。味が一定、値段も一定の今では、逆にまずくて薄くて安いものは独占市場なのである。

ヒトラーの女性優遇社会論は、日本の高齢社会にもあてはまる

若者から搾取する日本。老人は無駄に長生きして金を使わなくて問題になっている。90歳になって老後の心配なんてアホな話もあるくらいだ。そんな溜め込む老人の言い訳は、将来が不安だから。結局若者も老人も不安だから溜め込むという事にはかわりない。老人からすれば若者は邪魔だし、若者からすれば老人は邪魔だ。ロードバイク乗ってる時から見た車と、車に乗ってる時から見たロードバイクである。自分がその位置になればその位置で優遇されるように訴えるのだ。結局、金を使わせるには金を与えないのが一番である。

そもそも金を与えるからダメなのだ。金が無いと使えないが、今は金があると溜め込む時代である。本当に最低限しか金がないならば、生きるために使うしか無い。老人などの高齢になるほど金が無い先細りにするのだ。老人は老い先短い。老い先短いだけではなく、役に立つ事が少ない。定年はがんばった証ではなく、使えなくなったから辞めさせられる証である。若者一人と老人一人、役に立つ資源で見れば若者が勝つ。若者1人と老人5人でも若者が勝つ。それくらい老人に価値はない。年をとるほど刺激がなくなり、金を使う事ができなくなる。そんなものに金を握らせても使わないのは当然だ。

じゃあいっそ年功序列などの形態も破壊しなければならない。正社員で、働く年数が長いほど賞与や昇給があがる世界だが、逆にしてはどうか。若者であればあるほど金をもらい、年を取る毎に貰える給料が減っていく。減っていくと言っても極端にではなく、50代が20万、20代が40万という具合だ。この先日本の人口減少は凄まじく、バブル時代のように会社側が来てくださいおねげぇします、ってレベルじゃないと無理だろう。長年雇用された人の経験やスキルは有用だが、はっきりいってそこまで重要ではないし、言うほど長期雇用者は役に立たない。10年20年やった人じゃないと任せられない仕事というのは殆ど無いのだ。

これは女性の結婚とも似ている。女性の最大の武器は若さだ。若いことこそ女性である。若い時にちやほやされて勘違いしたまま年を取り、現実に打ちのめされるなんて事はザラだ。若さは有限で、限られているから評価される。毎年劣化するとして誰が高い金を払うのか。スポーツ選手やプロゲーマーのように、若い時しか働けない職もある。けど、基本どの職も若さこそ重要ではなかろうか。今でも新卒逃せばもう遅い、新しいことを始めるには難しいという風潮だが中途半端である。最初から若者は最大給金で青田刈りをする社会なら、若さの貴重さに胡座をかいて30代なんて者には自業自得で良い。けど、若さという貴重さを対して実感させず、社会は若いのに安くて即戦力なんて矛盾を期待しているからこのザマだ。若者には老人の10倍の待遇くらいでいい。老人は10分の1の待遇だが、若者には10人でも勝てないから妥当である。

ヒトラーはかって女性を優遇する国は破滅すると説いた。社会の最高ではなく最低の弱者を基準とする国は、破滅して当然である。授業で最低の成績者を基準にすれば遅遅として進まないし、最高の成績の者は自主学習を余儀なくされる。馬鹿な子ほど可愛いのではない。馬鹿な子ほど哀れで、できる子ほど褒めないとダメなのである。

初心者にこそオススメのイラストトレーニング法と注意点

世間でのイラストトレーニングの中に、30秒ドローインというものがある。これは文字通り30秒で素早く描くことで、情報表現力を鍛える方法だ。これも初心者から上級者まで有効なトレーニングだが、ここで紹介するのはさらに効果的な5秒ドローインである。

5秒ドローインで行うことは1つ。頭に浮かべたイメージを雑でも形だけでも良いので5秒で描ききる事。例えばワンピースのルフィを描くとする。そうすると貴方の頭の中ではルフィの顔やポーズが一瞬だけ浮かぶだろう。ワンピースのルフィを想像するな、と言われて想像してしまったときのようなイメージだ。どんな顔、どんなポーズで思い浮かべたかは貴方にしかわからないが、とりあえずその一瞬浮かんだ姿を下書きよりも雑な輪郭で良いので5秒で描くのだ。

イラストを描く際に初心者が陥りやすいミスの1つに、イメージの持続がある。なんとなくこういう形では浮かぶんだけど、細部を描こうとしたり、絵に描こうとすると上手く描けない。というのも人間のイメージ記憶時間は驚くほど短い。瞬間的に人間が覚えられる文字数は7~8桁までというのが通例で、これはイメージでも同じだ。頭の中でイメージしている絵は、実は映画やアニメのように一瞬一瞬をつなぎ合わせているに過ぎない。頭の中という直接視認できず、視界の隅に一瞬だけ映る映像を見て描いているようなものなのだ。これではとてもではないが模写でもやっとな初心者では手に付かない。

そこで5秒ドローインである。一瞬だけイメージが浮かんで消えるなら、その消える前に描いてしまえばいいのである。いわば下書きの下書き、輪郭やポーズ程度の描写でいい。初心者は下書きの意味をよく理解していない。下書きは全体像、作業を見渡せるための下見である。おそらく下書きといっても多少線がぶれていたり程度で時間をかける人が多いのではなかろうか?これは大きな間違いで、下書きに時間をかけているとイメージはぼやけるし、描いている内にあれもこれもと筆が迷う事になる。まずこれを描く!というゴールをかきあげなければダメなのだ。全体像を描くのには、5秒で十分である。

他にも5秒ドローインは、パーツを組み立てるという意味でも重要だ。ある程度絵に関わった人ならば、これいいなと思う絵が幾つかあるはずだ。参考になる顔やポーズ、塗りの資料としてもそうだろう。完全なトレスはご法度だが、ある程度の型抜きや資料として他人の絵を模倣する、見て描くのは上達には必須だ。それらの絵を選ぶ際にも下書きの下書きは必要である。頭の中でこれいいな、これ描こうかな、といってまとめた後描こうとする人物は非常に筆が遅い。それらの集めた絵をパズルのように組み合わせ、そこから下書きを始めるから当然である。多すぎる選択肢は、かえって選ぶのに時間がかかるのだ。

最初に5秒ドローインで全体像を描いておき、ふさわしい資料を集めるのと、頭の中でイメージし、資料を集めて下書きをするのでは、同じようで効率が全く違う。遅い者、描けない物はまずアニメや漫画などで描くキャラを選び、そこから資料を集め、ポーズなどの下書きを始める。早い人はまず描くキャラを決め、即座に5秒程度で浮かんだイメージを全体像で下書きし、そこから当てはまる資料を集めて肉付けする。これは買い物やスーパーで無駄遣いをしない方法と同じだ。最初に買うものを決めておけば無駄遣いはしない。何かいいものないかな、と見回る過程は楽しいが、それでは無駄な物を買ってしまうし、時間も大幅にかかる。

絵を描くのは細やかな細分化が重要だ。下書きから清書、色塗りでは一足飛びすぎている。下書きの下書きの下書きというレベルで肯定を細分化し、確実に完了させて一歩一歩描いていくのが正解なのだ。絵を描くのは長期戦だ。10時間かかるなんてことも珍しくない。頭や視覚でのイメージは一瞬なのに、手で描く際は驚くほど進展が無い。初心者ほどこのギャップに苦しむ。すぐに描けそうな絵でも、長時間かかっている事、絵を描くには時間がかかるという事を念頭することが、上達への第一歩である。

自己啓発の元気玉的教え

全ての自己啓発の究極奥義、それは死ぬ気でやること。全ての事は死ぬ気でやればなんでもできるのは心理であり、誰でもできる究極奥義だ。明日死ぬとしたら、今日全力で生きるとしたら、そういう後悔を残さないためというのはよく聞く。今のお前は10年後の未来から逆行してきたんだよとか、今日生きれなかった誰れかが居るんだよなんてのも聞く。今日死ぬ気でやるなんて、極めてシンプルで簡単な事だ。簡単すぎて、心理すぎて、心の中ではそれが全てだと理解している。

けど、それで死ぬ気でやってもし失敗したら・・・成功出来なかったら・・・という不安が邪魔をする。死ぬ気でやればなんでもできる。けど、できなかった時が怖い。ほんとはできる、やればできるという安心感は強い。死ぬ気でやれば成功するのがわかりきっていることなのに、わざわざ習慣だ、行動だなんて脇道の教えに目をそらしてごまかしている。死ぬ気でやるというのは全力疾走だ。人間は全力で走ることには向いていない。長距離、極めてだらだら走るのが得意だ。近道が目に見えているのに、手を抜くという行為が遺伝子に染み付いている。人間にとって、手を抜くという行為が楽という言葉になってしまっている。

こうして死ぬ気でやる事が最短正攻法だとわかっていても、やっぱりなんだかんだ言ってやりたくないよね。全くやらないわけじゃない、けど全力ではやりたくない。ほどほどに辛いくらいがいいんだよ。皆ほどほどに辛いくらいを選ぶので、当然ほどほど倍率は激戦区だ。ほどほどに辛いとある意味暇で、そこそこ愚痴を言うこともできてしまう。現代であれこれ不満が多いのは、こうしてほどほど暇な辛さに身を置く物が多いからだ。楽してる人は不満なんてそれほどないし、全力で忙しい人は不満を言う暇もない。結局、そこそこ手抜きが多いのが悪いのだ。

死ぬ気でやる。これぞ人生人間の究極奥義。そんな死ぬ気でやるために私がとった一番効果のある方法、それは目に見える場所に置く事である。モニターに、トイレに、車に、常に焦点を合わさなくても視界に入る場所に書いておくのだ。死ぬ気でやる、と。これは額に寝たら画鋲が刺さるようにして徹夜する行為ににている。子犬にトイレのしつけをすることにもにている。要するに、忘れる度に体で覚えさせなければならないのだ。人間は驚くほどよく忘れる。寝る前とか、朝起きた時に教えを読み返すなんてのは間があきすぎる。やる直前で思い出さなければ意味がない。何かをする度に、必ずメモを読み返し、読み返さなくても無意識に目に入る位置に置くのが最強だ。

人間、ほんとに死ぬ気でやったことなんて殆ど無い。けど、それは全ての事に死ぬ気でやる余地があるということでもある。死ぬ気で起きる。死ぬ気で歯磨きする。死ぬ気で通勤する。死ぬ気で着替える。死ぬ気で運動する。死ぬ気で、死ぬ気で、死ぬ気で・・・とまぁ死ぬ気でやれる事は腐るほど有る。私は一時的に死ぬ気で歯磨きとか、死ぬ気で寝起きとかやったが意外と楽しい。そして如何に時間を無駄になぁなぁですごしているかわかる。死ぬ気でやると、大抵キビキビした動きになりエリートになったような気分に浸れるものだ。いやぁ、死ぬ気でやるのはほんと楽しいからおすすめですぞ。